大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(う)927号 判決 1960年7月15日

被告人 角田岩五郎

主文

原判決を破棄する。

本件を東京簡易裁判所に差し戻す。

理由

松永弁護人の控訴趣意第一点(理由不備)について

原判決が罪となるべき事実として、被告人は、昭和三十四年五月四日午前八時頃東京都渋谷区内所在国鉄渋谷駅出札口付近において、小林洋子管理のビユーテーカメラ一台時価七千円相当を窃取したものであるとの事実を認定し、証拠の標目として証人小林洋子の原審公判廷における供述及び同人作成の被害届雨宮すい作成の質取始末書及び任意提出書並びに法務省矯正局提出の被告人に対する犯歴等調査に関する回答書を挙示していることは、所論のとおりである。そして、窃盗罪が成立するためには、財物が他人の所持に属することのほか、犯人が、他人の財物であることを認識しながら、不法領得の意思をもつて、他人の財物の支配を排除して自己の支配内に移す行為が必要であつて、窃盗罪を認定するには、被告人が、右のような認識や意思の下に、他人の財物を自己の支配内に移したことを認めるに足りる証拠を挙示することが必要であることも、また、所論のとおりである。よつて、原判決挙示の証拠によつて、原判示窃盗の事実を認定することができるかどうかについて調査してみると、右法務省矯正局提出の被告人に対する犯歴等調査に関する回答書は、被告人の前科事実に関するものであつて、原判示窃盗の事実に関する被告人の犯意及び窃取行為を認定するに足る資料とすることができないことはいうまでもなく、右小林洋子の原審公判廷における供述及び同人作成の始末書は、同女が、その管理にかかる原判示カメラ一台につき、原判示日時及び場所で、盗難被害を受けた事実の証拠ではあるが、被告人の窃盗の犯意及び窃取行為を認定できる資料ではなく、また、右雨宮すい作成の質取始末書及び任意提出書は、被告人が、昭和三十四年五月二十六日原判示カメラを質商雨宮すいに質入して金五千円を借り受けた事実の証拠ではあるが、被告人の窃盗の犯意及び窃取行為を確認するに足る資料とすることはできない。もつとも、右小林洋子の原審公判廷における供述及び同人作成の始末書及び雨宮すい作成の質取始末書及び任意提出書を総合することによつて、原判示窃盗被害にかかつたカメラを被告人が入質したことによつて、被告人がこれを窃取した上入質したのではないかとの推測をなし得ないわけではないが、この程度の推測を生ぜしめるに止まる証拠の挙示をもつて、刑事訴訟法第三百三十五条第一項によつて、有罪判決について要求される証拠の挙示として充分であるとすることはできないのである。従つて、原判決には、充分な証拠を挙示せず、その挙示の証拠によつては、原判示の盗窃事実を認定することができないという証拠理由の不備があるので、論旨は理由がある。

飯畑弁護人の控訴趣意第一点及び松永弁護人の控訴趣意第二点(いずれも、事実の誤認及び法令適用の誤)について

原判決が、原判示窃盗の事実を認定した上、弁護人の主張に対し、当公廷に顕出された証拠によれば、被害者小林洋子は、五月四日午前八時頃国電渋谷駅の東横デパート二階山手線出札口で切符を買つたとき、手に持つていたハンドバツクとカメラとを出札口の台の上に置き、切符を受け取つてすぐハンドバツクだけを持つてそこを離れ、十米位の所まで友人と話しながら歩いたとき、カメラを台の上に置いて来たことを思い出して、すぐ引き返したが、そのときは、もうカメラはなくなつていた、その時間は、五分を超えてはいなかつた事実が認められるのであつて、この場合、右のカメラは、なお被害者の実力支配のうちにあつたもので、未だ同人の占有を離脱したものとは認めることができない(最高裁判所昭和三二年(あ)第二一二五号、同年十一月八日判決参照)と判断し、弁護人の本件カメラは既に被害者小林洋子の管理を離れていたものを被告人が拾つたものであるから、窃盗罪ではなく、占有離脱物横領罪を構成するに過ぎないとの主張を排斥したことは、所論のとおりであるが、記録を査精すると、原審公判廷における証人小林洋子の供述によれば、原判決が判断した事実関係は、充分これを肯認することができるのであり、このように、被害者が、駅の出札口の台の上にカメラを置き、切符を買つたのち、カメラを置いたままそこを離れ、五分を超えない短時間内に、十米位行つた所で気がつき、すぐ引き返したという場合には、社会通念上、右カメラの占有は、なお、被害者にあつて、右カメラは占有離脱物であると解することはできないので、これと同趣旨の原判決の右の判断は正当である。所論は、原判決が援用する最高裁判所の判例は、本件と事実関係が異なるので、これを援用するのは不当であるというが、右最高裁判所の判例に顕われた事実関係は、当該写真機は、当日昇仙峡行のバスに乗るため行列していた被害者がバスを待つ間に、身辺の左約三〇糎の個所に置いたものであつて、同人は行列の移動に連れて改札口の手前約二間(三・六六米)の所に来たとき、写真機を置き忘れたことに気がつき真ちに引き返したところ、既にその場から持ち去られていたのであり、行列が動き始めてからその場所に引き返すまでの時間は約五分に過ぎないもので、かつ、写真機を置いた場所と被害者が引き返した点との距離は約一九・五八米に過ぎないというのであつて、本件と類似した状況にあるのであり、同判例がいつているように、刑法上の占有は、人が物を実力的に支配する関係であつて、その支配の態様は、物の形状その他の具体的事情によつて一様ではないが、必ずしも物の現実の所持又は監視を必要とするものではなく、物の占有者の支配力の及ぶ場所に存するを以て足り、また、その物がなお占有者の支配内にあるかどうかは、通常人ならば何人も首肯するであろうところの社会通念によつて決すべきであるが、本件における事実関係においては、社会通念上、本件カメラの占有は、なお被害者たる小林洋子にあるものと判断すべきであり、所論のように、本件の場所が東京都内でも最も乗降客の多い渋谷駅出札口付近であり、時間も最も混雑する頃で、人が相当混雑していたと思われること及び五分間も経つていたことを理由として、被害者の占有が失われ、本件カメラは、占有離脱物であるとすることは、当らないものといわなければならない。

次に、被告人には窃盗の犯意がなく、単に遺失物横領罪の犯意があつたに過ぎないとの所論について考えてみると、所論援用の被告人の昭和三十四年七月三日付司法警察員に対する供述調書には、被告人の供述として、私は出札口へ一番近いすぐそばの自動販売機に十円入れて切符を買つたのであるが、買い終つて見ると、出札口の横(出札口はカウンターのようになつている)にカメラ一台があつた、その出札口には、年齢二十五、六才の人が切符を買つていたので、これはあんたのですかと尋ねたところ、私のではないというので、ああそうですか忘れ物ですねというと、その人も、そうですねというので、私が届けますといつて、台の上にあつたそのカメラ一台を盗つた旨の部分があり、また、被告人の原審公判における供述には、「(問)女の人がカメラを置いて行つたのは見なかつたか、(答)見て居りません、(問)被告人はその場にいた男の人に何と云つてカメラを持つて来たのか、(答)これはあなたのカメラですかと尋ねたところ違うというので持つて行つたのです、(問)どうするつもりで持つて行つたのか、(答)届けるつもりでしたが、太陽電気会社に戻つてその場に置き翌日入質して仕舞つたのです」との部分があつて、これらの証拠によれば、被告人の犯意は窃盗の犯意ではなくて、むしろ、遺失物横領罪の犯意であつたものと解せられない訳ではない。しかし、本件に顕われた証拠には、被告人が窃盗の犯意をもつて本件犯行をした旨の被告人の自白を記載した供述調書があるので、その信憑力を検討しなければならない。即ち、前記所論援用の被告人の司法警察員に対する供述調書には、前記の被告人の供述記載の前後に、抽象的にではあるが、本件カメラ一台を盗つた旨の供述記載があり、被告人の検察官に対する昭和三十四年七月五日付及び同月九日付各供述調書には被告人の供述として、それぞれ、本件カメラ一台を盗んだ旨の記載があるからである。そこで、所論援用の証拠と、被告人が本件窃盗の事実を自白した右各供述記載部分とを比較検討すると、前記被告人の司法警察員に対する供述記載中の自白部分は、同じ調書のなかに、所論援用の被告人が遺失物横領の犯意で本件カメラ一台を持ち帰つたと解し得る部分があつて、この部分が具体的であるに反して、右自白部分は、単に盗つたとあるだけであつて極めて抽象的であるから、たやすく措信することができないのであり、右被告人の検察官に対する昭和三十四年七月五日付供述調書中の自白も、単に司法警察員事件送致書記載の犯罪事実を読み聞けられて、そのとおり相違ない。外交に回る交通費が足りなかつたので、出来心でカメラを盗んだとあるだけであり、また被告人の同月九日付供述調書中の自白部分は、前回申し上げたように、置引をやつたことは間違いない、カメラを盗つたときは、渋谷で就職口を頼んで東京駅付近にある知合の会社に帰つて行くときであつた、そして、十円区間の切符を買うべく自動式売場のところへ行くと、台の上にカメラが一台置いてあるのを見て、私は定職もなく金に困つていたときであつたから、すぐこれを盗つて東京方面行きの電車に逃げこんだというのであるが、これに続いて、「三、問お前の前にその自動販売機で切符を買つて行つた女の子を見たか、答見ませんでした、四、問女の子がカメラを盗られた事に気付いてお前を追いかけているのに気が付かなかつたか、答全然気がつきませんでした」という問答も記載されていて、前記所論援用の被告人の原審公判廷における供述や司法警察員に対する供述記載に対比すると、これまた措信することができないのである。

以上判断のとおり、本件に顕われた証拠関係を検討すると、被告人は、本件カメラ一台を遺失物横領の犯意でこれを持ち去つたものと認めるのが相当であり、これを被告人が窃盗の犯意で持ち去つたものと認定した原判決には、事実の誤認があり、この誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められるので、論旨は、この点において、結局、理由がある。

よつて、爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百七十八条第四号、第三百八十二条に従い、原判決を破棄し、前記判断のとおり、本件は、被害者小林洋子の管理する原判示カメラ一台を、被告人が占有離脱物たる遺失物であると思つて持ち去つたものと認定すべき事案で、刑法第二百三十五条、第三十八条第二項、第二百五十四条を適用すべき場合であるが、刑事訴訟法第三百十二条に従い、訴因及び罰条の追加、変更の手続を経た上でなければ、右のような事実の認定や法令の適用をなし得ないものと解せられるので、同法第四百条本文に則り本件を原審たる東京簡易裁判所に差し戻すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 下村三郎 高野重秋 真野英一)

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